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「iami(私は私)」という名前。僕がこの場所で、命をまっとうしたい理由
こんにちは。
今日は、少しだけ僕の心の奥にある「おしゃべり」に、お付き合いいただけたら嬉しいです。
先日、ふと「どうしてこの世界から悲しいニュースやトラブルはなくならないんだろう?」という、答えのない問いについて考えていました。
世の中をどんなに安全に、綺麗にしようとしても、どうしても理不尽なことって起きてしまう。まるで「光があれば、必ず影ができる」みたいに、どれだけ頑張っても完璧な世界を作るのは難しいのかもしれない。
そんな、ちょっと虚しくなりそうな時に、僕の頭の中にいつも帰ってくる、大切な「言葉」があります。
それは、僕が子どもの頃に夢中で観ていた特撮番組『五星戦隊ダイレンジャー』に出てくる、道士カクというキャラクターが遺したセリフです。
子どもの頃に出会った、世界のひみつ
「正義と悪は、光と影のようなもの。もとはひとつなのだ」
「お互いが争いながら永遠に生きてゆく。これこそが人間の宿命。勝負は永久につかない。すべては虚しい戦いなのだ」
子どもの頃は「なんだか難しいことを言っているな」としか思いませんでしたが、大人になった今、この言葉が胸に深く突き刺さります。
この世から「影(悪いこと)」を完全に消し去ろうとして、もし「光(正しいこと)」だけになったら、それはもう人間の世界ではなく、神様や仏様の世界(浄土)になって、この世界そのものが消えてしまうのかもしれない。
つまり、僕たち人間は、「完璧にはならない不完全な世界」だからこそ、今ここで生きている。
答えが出ないと分かっていても、それでも野生の弱肉強食に戻らないように、「もっと優しく、もっと良く」と悪あがきしながら足掻き続けること。それ自体が、人間らしく生きるということなのかもしれません。
「私は私」という、たった一つの答え
じゃあ、そんな不条理な世界の中で、僕たちはどうやって生きていけばいいんだろう?
そこで行き着いたのが、有名なこの言葉でした。
「天上天下唯我独尊」
ちょっとお堅い言葉ですが、本当の意味は「この広い世界で、自分という存在はたった一人しかいない。だから、生きているだけでめちゃくちゃ尊いんやで」ということ。
世界全体の仕組みを変えることは、僕にはできない。
けれど、せめて「自分に与えられたこの一度きりの命」を、自分らしく精一杯まっとうすることは、今この瞬間からできます。
実は、僕のお店の屋号は「iami(アイアムアイ=私は私)」といいます。
この名前をつけたのは、もしかしたら偶然ではなかったのかもしれません。
周りの雑音や、世の中の理不尽なシステムから一歩おいて、「私は、私」。この「iami」という生き方を最後までやり遂げることこそが、僕にとっての生きる意味そのものなんだと感じています。
旅の終わりに
「私は私」をトコトン生き抜いて、いつかこの世界で足掻きを終えたとき。
僕たちの心は、自分という殻を脱ぎ捨てて、宇宙の、すべての命の始まり的なところへと還っていくような気がします。それこそ、ダイレンジャーの導師カクが言ったように「もとはひとつ」という、あの場所に。
世界は不完全で、思い通りにならないことばかり。だからこそ、今日も僕は「iami」の場所で、僕の命を大事にして、時には優しくして、精一杯まっとうしようと思います。
みなさんは今日、「自分らしさ」をどんな風に楽しんでいますか?
謙虚っていいことか?
謙虚って何だろう
こんにちは。
今日は「謙虚」について考えさせられることがありました。
僕はこれまで、「自分なんてまだまだ」「自分を信じてくれる人なんて、そんなにいないやろ」と思うことがよくありました。
自己肯定感が高い方ではないので、どこかで「俺なんかを信じる人なんておらんやろ」と決めつけていたのかもしれません。
でも、ふと考えました。
本当にそうなんやろうか。
真っ先に思い浮かんだのは両親でした。
特に母は、いつも僕を信じ、支え続けてくれています。
この文章を書いている今も、そのことを思うと自然と涙が出てきました。
僕は「謙虚でいること」が良いことだと思っていました。
もちろん、驕らないことは大切です。
でも、自分を必要以上に低く見たり、「どうせ自分なんて」と思い込んだりすることは、本当の謙虚さではないのかもしれません。
それは、自分を信じてくれている人の想いまで否定してしまうことになる。
そう考えると、それは謙虚ではなく、むしろ非礼なことなのだと気づきました。
誰かが「あなたならできる」と信じてくれている。
その信頼を受け取ることも、一つの責任なんだと思います。
だから今日からは、自分を大きく見せるのではなく、信じてくれている人の期待に応えられるように生きていきたい。
そして、信じてくれる人に応えられるように、楽しくいきられるようにしていきたいな。
そんな毎日を積み重ねていけたらと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
旬って、やっぱり美味しいですね。〜とうもろこしと玉ねぎの天ぷら〜
こんにちは😊
最近、おすすめでお出ししている「とうもろこしと玉ねぎの天ぷら」。
ありがたいことに、「これ美味しい!」と言っていただくことが増えてきました。
夏になると食べたくなる、とうもろこし。
当店では、生のままではなく、一度じっくり蒸してから天ぷらにしています。
蒸すことで甘みがぐっと増して、揚げた時にその美味しさを中に閉じ込めてくれるんです🌽
玉ねぎも、じっくり時間をかけて揚げています。
火を入れることで辛みがやさしい甘みに変わって、「こんなに甘かったんや」と驚かれる方も多いですよ😊
おすすめは、ぜひお塩で。
シンプルだからこそ、とうもろこしや玉ねぎが持っている本来の甘みや香りを、そのまま味わっていただけます。
そして、ぜひ一緒に味わっていただきたいのが、当店で使っているイセヒカリ。
兵庫県加東市で、お世話になっている農家さんが愛情たっぷりに育ててくださっています。
本当に美味しいお米なので、料理を作る側としても「このお米を使わせてもらえて幸せやなぁ」と感じています。
料理って、お店だけでは完成しません。
野菜やお米を育てる人。
運んでくださる人。
料理する人。
たくさんの人の想いがつながって、一皿になります。
もしよかったら、この美味しいお米を育ててくださっている農家さんのInstagramものぞいてみてください😊
日々のお米づくりや自然の風景が伝わってきて、「こんな方が育ててくれているんや」と知ると、ご飯がもっと美味しく感じられると思います。
▶︎ 農家さんのInstagram
@takayukiotomi
旬のとうもろこしと玉ねぎ。
この季節ならではの味わいを、ぜひ楽しんでください😊
本日も18:00より営業しております。
皆さまのお越しを心よりお待ちしております。
英語はわからない。でも、映画館は最高に面白かった。
高校2年生の海外研修。
モントレーで過ごした休日、ホストファミリーのアーネストが映画館へ連れて行ってくれました。
たぶん行った映画館は「Cinemark Century Monterey 13」だったと思います。
当時観た映画は、X-MENシリーズ。
ウルヴァリンが主人公の作品だったのを今でも覚えています。
もちろん字幕なんてありません。
日本語吹き替えもありません。
聞こえてくるのは、全部英語。
…
当然、何を言っているのか全く分かりません(笑)
ストーリーもほぼ理解できず、「なんとなく雰囲気」で観ていました。
でも、不思議とそれ以上に印象に残ったことがありました。
それは、映画館のお客さんの反応です。
日本なら静かに映画を観るのが当たり前。
笑いたくても少し我慢したり、周りを気にしたりしますよね。
でもアメリカでは全然違いました。
面白いシーンでは会場のあちこちから普通に笑い声が聞こえてきます。
手を叩いて大笑いしている人もいる。
驚く場面では
「Oh!」
「Oh my God!」
そんな声が自然と聞こえてくるんです。
映画を”静かに鑑賞する”というより、みんなで楽しむという感じ。
その空気がすごく新鮮でした。
「映画館って、こんな楽しみ方もあるんや。」
これもまた、大きなカルチャーショックでした。
そしてもう一つ驚いたのが、アメリカサイズ。
アーネストがポップコーンとコーラをご馳走してくれたのですが…
ポップコーンは紙のバケツに山盛り。
ドリンクも、日本のLサイズの2倍、いや2.5倍くらいありそうな大きさ。
「これ、一人で飲むん?」
と思わず笑ってしまうサイズでした。
しかも、ポップコーンが山盛りだから床には踏まれたポップコーンがあちこちに。
日本ではなかなか見ない光景で、これまたダイナミック。
「アメリカらしいなぁ。」
そんなことを思ったのを覚えています。
娯楽一つとっても、国が違えばこんなにも文化が違う。
日本には日本の良さがあります。
静かに作品に集中できる良さもあります。
でもアメリカのように、感情を素直に表現しながら映画を楽しむ空気も、とても素敵だと感じました。
どちらが正しいではなく、それぞれに魅力がある。
そんなことを17歳の僕は感じていたのかもしれません。
実は今日、久しぶりにモントレーのことを調べてみました。
YouTubeで街並みを見たり、ネットで写真を眺めたり。
フィッシャーマンズワーフやモントレー水族館の景色を見ていると、なんとも言えない懐かしい気持ちになりました。
水族館は建物の形こそ変わっていませんでしたが、外壁がきれいになっていたり、ロゴも少し変わっていたり。
「あぁ、ここ行ったな。」
そんな記憶が少しずつ蘇ってきました。
3年後、英語をもっと話せるようになって、もう一度アーネストたちに会いに行く予定です。
今度は映画のセリフも少しは分かるかな(笑)
17歳の僕が感じたカルチャーショックを、大人になった今、もう一度味わえる日が来るのを楽しみにしています。
新しい刺激を追いかける僕が、結局「温故知新」に救われた話
こんにちは!
自他ともに認める「飽き性」な僕。
それは日々の料理でもまったく同じです。
常に「新しいもの」「珍しいもの」を追いかけたくて、テレビを観たり、動画をみたり、本や雑誌をみたり。
「次は何を作ろう?」
そう考えている時間が一番ワクワクします。
同じ料理を作るにしても、そのままじゃつまらない。
調味料をガラッと変えてみる
切り方や大きさを変えてみる
分量を変えたり、意外な具材を足してみる
そうやって自分なりの「実験」を繰り返して、新しい味に出会えたときの達成感や高揚感は、何物にも代えがたい楽しさがあります。
刺激を追いかける裏側で
でも、正直に告白すると、その「新しさへのこだわり」が、時にちょっとしたストレスになることもあるんです。
「何か新しいアイデアはないか……」と探しても、中々ピンとくるものが見つからないとき。
思いつきで足した具材が噛み合わず、納得のいく味が作れなかったとき。
「もっと先へ、もっと新しいものを」と走り続けることに、少し疲れてしまう瞬間があります。
迷ったときに、あえて「昔ながら」に触れてみる
そんなとき、ふと、昔からずっと変わらずにある定番の料理を、基本に忠実に、じっくり時間をかけて作ってみることがあります。
奇をてらわず、先人が遺してくれた通りの手順で。
すると、言葉を失うほどの「凄さ」に、改めて気づかされるんです。
「なぜ、このタイミングでこの調味料を入れるのか」
「なぜ、この切り方でなければならないのか」
そこには、何十年、何百年と積み重ねられてきた昔の人の知恵の深さが、これでもかと詰まっていました。削ぎ落とされたシンプルさの中に、完璧な正解がある。
まさに**「温故知新(おんこちしん)」**。
新しいものを生み出すためには、まず過去の知恵をリスペクトし、深く知ることが不可欠なんだと、身に染みて感じます。
何事も「本(もと)」が大事
アレンジや進化を楽しめるのは、揺るぎない「基本の型」がそこにあるからこそ。
何事も、やっぱり「本(もと)」が一番大切ですね。
最先端の刺激も楽しいけれど、たまには原点に戻って、先人の知恵にどっぷり浸かる。そんな時間があるからこそ、また新しい挑戦へのエネルギーが湧いてくる気がします。
皆さんも最近、自分の「原点」に触れる機会はありましたか?

