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「お金があれば幸せになれるのか?」最近、よく考えること。
最近、「Be・Do・Have」という考え方を知りました。
簡単に言えば、
「何を持つか(Have)」ではなく、
「何をするか(Do)」でもなく、
「どんな人でありたいか(Be)」を大切にする考え方です。
正直、今の私は「お金が欲しい」と思っています。
それは贅沢がしたいからではありません。
母を支えたい。
お店をもっと良くしたい。
ロードサイドのお店を出したい。
自由に挑戦したい。
そして、自分の生活がある程度安定したら、地域や、お世話になった方、高齢者や子どもたちのために、少しでも力になれる人になりたい。
だから、お金は本当に大切だと思っています。
世の中の悩みの多くは、お金が関係していることも少なくありません。
だから私は、人の10倍稼げるようになりたいと思っています。
でも、最近気付いたことがあります。
もし、お金だけが目的になってしまったら、本当に欲しかったものを見失ってしまうかもしれないということです。
私が本当になりたいのは、
毎日笑顔で、幸福感を持ちながら生きる人。
誇りを持って仕事をする人。
家族や地域を元気にできる人。
そして、日本を少しでも元気にできる人です。
そう考えると、お金はゴールではなく、自分の理想を実現するための大切な手段なのだと感じました。
高校生の頃を思い返すと、お金を自由に使えたわけではありません。
それでも、学校生活が楽しく、アルバイトをして、恋愛をして、一人旅をして、部活動に打ち込み、希望者だけが参加できる海外研修にも参加しました。
毎日が本当に充実していました。
あの頃は、「幸せだから笑っていた」のか、「笑っていたから幸せだった」のかは分かりません。
でも、今思えば、毎日に夢中になっていたことは確かです。
もちろん、今は現実があります。
経営者として売上を上げなければいけませんし、お金も必要です。
だから私は、「お金なんていらない」とは思いません。
むしろ、これからしっかり稼ぎたいと思っています。
ただ、その先にある「何のために稼ぐのか」を忘れたくありません。
家族のため。
お店に来てくださるお客様のため。
地域のため。
そして、自分自身が誇りを持って生きるため。
誰だって、思い通りの人生を送りたいと思います。
家族円満で、収入も安定していて、好きなことができる人生。
そんな人生を送れたら、本当に素晴らしいと思います。
でも、人生は思い通りにならないこともあります。
だからこそ大切なのは、「今の自分にできる幸せの見つけ方」なのではないでしょうか。
私はまだ道の途中です。
悩むこともありますし、迷うこともあります。
それでも、自分らしく、生きがいを持って生きることだけは忘れずにいたい。
そして、いつか「たくさん稼げて良かった」と思うだけではなく、「誰かの役に立てる人生で良かった」と胸を張って言えるような人になりたいと思っています。
消えたいと思う夜があっても、それでも明日を迎えるということ
ふと、考えることがあります。
「生きるって何だろう」
「なぜ人は苦しんでまで生きるのだろう」
そんなことを考えたことはありませんか?
僕はあります。
そして正直に言うと、時々、
「全部終われば楽なのに」
「何もかも消えてしまえばいいのに」
そんな気持ちになることがあります。
でも、これは「人生を終わらせたい」というより、
「今抱えている不安や苦しさから解放されたい」
という気持ちに近いのかもしれません。
僕の場合、その不安の大きな原因は仕事でした。
小さなお店を経営しています。
お客様に喜んでもらえる店にしたい。
地域に必要とされる場所にしたい。
そう思って頑張っています。
でも、経営をしていると不安になる瞬間があります。
「この先、本当に大丈夫だろうか」
「もし店が続けられなくなったら」
「家族や周りに迷惑をかけてしまったら」
そんな考えが頭の中を占めることがあります。
不安が大きくなると、目の前の問題が人生全部の問題のように感じてしまうことがあります。
でも、そんな時に気づいたことがあります。
僕が本当に欲しかったものは、お金だけではありませんでした。
安心して眠れること。
自分自身を少し癒す時間。
車で景色のいい場所へ行くこと。
温泉に入ること。
美味しいものを食べること。
自然の中で何も考えず過ごすこと。
キャンプで焚き火を眺めること。
そんな時間を、もう一度ちゃんと味わいたかったんです。
人は、誰かのために頑張ることができます。
家族のため。
お客様のため。
地域のため。
それはとても大切なことです。
でも、自分自身が疲れ切ってしまったら、誰かを温め続けることはできません。
火が消えかけた焚き火では、周りを温めることが難しいように。
まず自分自身も満たしてあげることが必要なんだと思いました。
もし今、同じように
「もう疲れた」
「消えてしまいたい」
「この先どうなるんだろう」
と思っている人がいたら伝えたいです。
僕も同じような気持ちになることがあります。
でも、そんな時に大切なのは、人生の答えを出すことではなく、
「今日は少し休む」
「誰かと話す」
「お風呂に入る」
「眠る」
そんな小さなことかもしれません。
苦しい時の自分が見る未来は、必ずしも本当の未来ではありません。
波のように、気持ちは変化します。
僕はまだ途中です。
悩むこともあります。
不安になることもあります。
それでも、
「まだやれることがある」
「ここで終わらせたくない」
と思っています。
いつか、自然の中で焚き火を眺めながら、
「いろいろあったけど、生きてきてよかったな」
と思える時間を過ごしたい。
そして、自分が少し余裕を持てた時には、
家族へ。
身近な人へ。
地域へ。
少しずつ恩返しをしていきたいと思っています。
もし今、苦しい気持ちを抱えている人がいたら。
あなたも一人ではありません。
僕も同じように悩みながら、それでも今日を生きています。
老いても学び、若者も学ぶ。そんな社会を目指して。
「老いては子に教えられ」
昔の人は、本当にいい言葉を残してくれたなと思います。
年齢を重ねると経験は増えます。
でも、時代は変わり続けます。
だからこそ、年上だから偉いのではなく、年下だから未熟でもない。
お互いに教え合い、学び合える関係が理想なんじゃないかなと思います。
そして、もう一つ好きな言葉があります。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
本当に実力のある人ほど謙虚で、人の話に耳を傾ける。
そんな姿勢を忘れずにいたいものです。
「温故知新」という言葉も好きです。
昔から受け継がれてきた知恵や文化を大切にしながら、新しい考え方も柔軟に取り入れる。
さらに「昔取った杵柄」というように、長年積み重ねてきた経験には、今の時代にも生かせる価値があります。
人は誰でも年を重ねます。
どんなに若くても、いつかは老いていく。
だから私は、高齢者を「守られるだけの存在」と考えるのではなく、その経験や知恵が社会の中で自然に生かされる仕組みがあればいいなと思っています。
そして若い世代には、新しい発想や行動力がある。
どちらかが主役ではなく、お互いが支え合える社会。
そんな日本になったらいいなと思います。
もし私が何か挑戦できるなら、まずは限界集落から始めてみたい。
若い世代が移住し、地域の皆さんと一緒に新しいまちづくりをする。
そこには子どもからお年寄りまで、誰もが自分のペースで活躍できる居場所がある。
無理に競争するのではなく、それぞれが自分らしい理想の生き方を追いかけられる。
そんなコミュニティが全国に少しずつ増えていけば、日本はもっと温かい国になる気がしています。
そして人生の最後は、不安や孤独ではなく、家族や仲間に囲まれながら、苦痛が少なく自然に人生を終えられる社会。
これは簡単に実現できることではないかもしれません。
それでも、こういう未来を思い描きながら、自分にできることを一つずつ積み重ねていきたい。
まずは身近な人を大切にすること。
地域を大切にすること。
そして、人と人がつながる場所をつくること。
私のお店も、そんな未来につながる小さな一歩になれたら嬉しいです。
名前に込められた想いと、ご先祖様から受け継いだもの
最近、改めて思うことがあります。
それは、「自分を大切にすること」と、「ご先祖様を大切にすること」は、どこか繋がっているのではないかということです。
僕は「川田」という姓をご先祖様から受け継ぎ、「洋介」という名前を両親から授かりました。
普段は当たり前のように名乗っている名前ですが、その一文字一文字に、たくさんの人の想いが込められているんだなと感じています。
「洋介」という名前には、
太平洋のように広い心を持った人になってほしい。
そして、太平洋のように深く、生命を育み、包み込める人になってほしい。
そんな願いが込められているそうです。
その想いを改めて胸に刻み、「自分らしく生きる」ということを大切にしていきたいと思いました。
振り返ってみると、僕は神戸市長田区駒ヶ林で生まれ、高砂市へ引っ越し、義務教育を終えました。
高校は神戸、大学は岡山。
就職では姫路、大阪、尼崎で働き、起業した今は高砂市の実家で暮らしながら、加古川市木村という場所でお店を営ませていただいています。
「ただの偶然やん。」
そう思われる方もいるかもしれません。
もちろん、その時々の状況や選択があって今があります。
でも僕は、これらの出来事を単なる偶然とは思えません。
何かしらのご縁や因果があって、今ここにいるのではないか。
そんなふうに考えるタイプです。
だからこそ、今まで出会った土地や人とのご縁を大切にしたい。
そして、今お世話になっている高砂市や加古川市、この地域で暮らす皆さんに、飲食という仕事を通して少しでもお役に立てたら嬉しいと思っています。
ご先祖様から命を繋いでいただき、両親から名前と想いを授かり、多くの方とのご縁に支えられて今の自分があります。
そのことへの感謝を忘れず、これからも「自分らしく」歩んでいきたいと思います。
これからも、よろしくお願いいたします。
「iami(私は私)」という名前。僕がこの場所で、命をまっとうしたい理由
こんにちは。
今日は、少しだけ僕の心の奥にある「おしゃべり」に、お付き合いいただけたら嬉しいです。
先日、ふと「どうしてこの世界から悲しいニュースやトラブルはなくならないんだろう?」という、答えのない問いについて考えていました。
世の中をどんなに安全に、綺麗にしようとしても、どうしても理不尽なことって起きてしまう。まるで「光があれば、必ず影ができる」みたいに、どれだけ頑張っても完璧な世界を作るのは難しいのかもしれない。
そんな、ちょっと虚しくなりそうな時に、僕の頭の中にいつも帰ってくる、大切な「言葉」があります。
それは、僕が子どもの頃に夢中で観ていた特撮番組『五星戦隊ダイレンジャー』に出てくる、道士カクというキャラクターが遺したセリフです。
子どもの頃に出会った、世界のひみつ
「正義と悪は、光と影のようなもの。もとはひとつなのだ」
「お互いが争いながら永遠に生きてゆく。これこそが人間の宿命。勝負は永久につかない。すべては虚しい戦いなのだ」
子どもの頃は「なんだか難しいことを言っているな」としか思いませんでしたが、大人になった今、この言葉が胸に深く突き刺さります。
この世から「影(悪いこと)」を完全に消し去ろうとして、もし「光(正しいこと)」だけになったら、それはもう人間の世界ではなく、神様や仏様の世界(浄土)になって、この世界そのものが消えてしまうのかもしれない。
つまり、僕たち人間は、「完璧にはならない不完全な世界」だからこそ、今ここで生きている。
答えが出ないと分かっていても、それでも野生の弱肉強食に戻らないように、「もっと優しく、もっと良く」と悪あがきしながら足掻き続けること。それ自体が、人間らしく生きるということなのかもしれません。
「私は私」という、たった一つの答え
じゃあ、そんな不条理な世界の中で、僕たちはどうやって生きていけばいいんだろう?
そこで行き着いたのが、有名なこの言葉でした。
「天上天下唯我独尊」
ちょっとお堅い言葉ですが、本当の意味は「この広い世界で、自分という存在はたった一人しかいない。だから、生きているだけでめちゃくちゃ尊いんやで」ということ。
世界全体の仕組みを変えることは、僕にはできない。
けれど、せめて「自分に与えられたこの一度きりの命」を、自分らしく精一杯まっとうすることは、今この瞬間からできます。
実は、僕のお店の屋号は「iami(アイアムアイ=私は私)」といいます。
この名前をつけたのは、もしかしたら偶然ではなかったのかもしれません。
周りの雑音や、世の中の理不尽なシステムから一歩おいて、「私は、私」。この「iami」という生き方を最後までやり遂げることこそが、僕にとっての生きる意味そのものなんだと感じています。
旅の終わりに
「私は私」をトコトン生き抜いて、いつかこの世界で足掻きを終えたとき。
僕たちの心は、自分という殻を脱ぎ捨てて、宇宙の、すべての命の始まり的なところへと還っていくような気がします。それこそ、ダイレンジャーの導師カクが言ったように「もとはひとつ」という、あの場所に。
世界は不完全で、思い通りにならないことばかり。だからこそ、今日も僕は「iami」の場所で、僕の命を大事にして、時には優しくして、精一杯まっとうしようと思います。
みなさんは今日、「自分らしさ」をどんな風に楽しんでいますか?

