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【気づき】言い訳を捨て、覚悟を決める――セミナーで向き合った「経営者としての自分」
昨日、今日の午前中、セミナーに参加してきました。
そこでガツンと胸に刺さり、自分自身を深く見つめ直すきっかけをいただいたので、忘れないうちに言葉にしておこうと思います。
自分を変革できる人と、できない人の差
セミナーの中で特に印象に残ったのが、「自分を変革できるかどうか」という話でした。
何か新しいチャンスや、変わるべきタイミングが来たとき、
「今は時間がないから」「お金がないから」「タイミングが悪いから」
そうやって何かしらの理由をつけて行動を起こさない人は、いつまで経っても変革できません。
チャンスは、いつまでもそこにあるわけではない。
時を逃すと、二度と掴めないんです。
本当に変化できる人は、時間がなかろうが、お金がなかろうが、自分の心が「これだ」と感じたことを素直に受け入れて、その瞬間に動ける人。
まずは「決断してやる。」すべての始まりはここなんだと、改めて強く感じました。
「相手を変える」のではなく、「自分を変える」
また、人間関係や組織のあり方についても深い学びがありました。
誰かに対して「あの人が悪い」「なんでなん」と思ってしまう瞬間は、誰にでもあると思います。
でも、そんな時こそ「自分を変える」チャンス。
「相手が悪い」と思ったとき、実は自分も同じようなことをしていないか?
もし自分が相手の立場だったらどうだろう?
そうやって一歩引いて、相手の立場になって考えてみると、見えてくる景色がガラリと変わります。自分の至らなさに気づかされたり、逆に「ありがたいな」と感謝の気持ちが湧いてきて、心が洗われるような感覚になります。
将来、組織を率いる経営者としての「非情さ」と覚悟
そして、経営者として最も身につまされたのが、「時には非情にならなければいけない時がある」という現実です。
私はどうしても、なんだかんだと相手のことを想うあまり、非情になりきれず、甘い決断をしてしまいがちなところがあります。
ですが、追い詰められたときに逃げて、中途半端に優しい(甘い)決断をすることは、最終的に相手のためにも、会社のためにも、そして自分のためにもならない。
今はまだ私と母との家族経営ですが、将来的に規模が大きくなり、従業員を抱え、その家族の生活も背負っていくようになったとき、この「甘さ」は命取りになります。
そして何より、お店を信頼して利用してくださる大切なお客様のためにも、万が一の時に「なくなると困る人」がどれだけいるかを考えなければなりません。
そこまで見据えて、いざという時に逃げずに覚悟を持って決断できるか。
未来の自分のためにも、厳しい現実から絶対に逃げない強さを持とうと、胸に深く刻みました。
あえて選ばれる存在へ
商売の本質は、「数ある選択肢の中から、お客様があえて自分を選んでくれるかどうか」。
そんな価値ある存在になれているか、そんな誇れる仕事ができているか。
これからさらに成長し、目指す規模へと歩んでいくからこそ、しっかりとこの意識を研ぎ澄まし、覚悟を決めて、これからも一歩一歩がんばっていきます!
自己評価が低すぎる私が気づいた、「謙遜のしすぎは最高の無礼」という話。
おはようございます。
突然ですが、みなさんは自分に「自信」を持てていますか?
私はというと、なかなか自分に自信が持てず、つい自己評価を低く見積もってしまう癖があります。
何か新しいことに挑戦しようとする時も、やる前から「やっぱり無理やな……」と考えてしまったり。でも、心の中のどこかで「まぁ、いけるやろ」と、少しだけ自信がある時もあるんです。
それなのに、なぜ「無理かもしれん」と口に出したり思ったりしてしまうのか。
よくよく考えてみると、それはダメだった時に自分を慰めるため、あるいは言い訳を作るための防衛本能だったのかもしれません。
嬉しいはずの褒め言葉を、素直に受け取れない
ありがたいことに、周りの人が自分の行動や成果を評価してくれることがあります。
褒められるのは、本当はすごく嬉しいはず。
それやのに、心のどこかで、
「いや、これは社交辞令やろな?」
と勝手にネガティブな想像をして、ブレーキをかけてしまう自分がいました。
「僕なんか、ぜんぜんですよ。」
マナーとしての謙遜は、確かに多少は必要かもしれません。でも、ふと思ったんです。
「謙遜のしすぎって、かえって相手に対してすごく失礼なんちゃうかな?」と。
「自己評価の低さ」は、相手への無礼かもしれない
相手の方は、私を評価してくれる時、ある種の「自信」を持って声をかけてくれているはずです。私の良いところを見つけ、認めて、わざわざ言葉にして伝えてくれている。
それなのに、こちらが勝手に自己評価を下げて「そんなことないです」と拒絶してしまうのは、見方を変えれば「あなたには見る目がありませんね」と言っているのと同じになってしまうのではないでしょうか。
「なんて無礼な奴なんや、自分は……」と、ハッとさせられました。
そんな風に人の好意や評価を無下に扱う人のことを、また応援したい、また引き立てたいなんて、普通は思わないですよね。
そして何より、それは「自分自身」に対してもすごく失礼なことでした。
「お前、頑張ってるやん!」と、自分の中で自分を評価してくれている声を、自ら否定してしまっていたのですから。
自信は、持っている方に賭けたい
自己肯定感が高すぎて自惚れてしまうのも考えものですが、低すぎるのもやっぱり問題です。
どちらが良いかと聞かれれば、自信は持っていた方がいいに決まっています。
例えば仕事の場面でも、どちらに任せたいかは一目瞭然です。
「自分なんかまだまだ自信がなくて……」と不安そうな人
「任せてください!」と自信に溢れている人
圧倒的に後者の方が、「この人なら大丈夫だろう」と安心して任せられますよね。自信は、自分を信じる力であると同時に、相手を安心させる材料でもあるのです。
今日から始める、小さなイメージトレーニング
というわけで、私は今日から、少しずつでも「自信を持つ努力」をしていこうと思います。
まずは、上手くいっている自分を想像するイメージトレーニングから。
やる前から「無理」と言い訳を用意するのをやめて、前向きに過ごしていく工夫をしていきます。
もし、周りの人があなたを褒めてくれたなら、それはあなたの努力が届いた証拠。
これからは「そんなことないです」ではなく、相手の見る目を信じて、「ありがとうございます!」と笑顔で受け取れる自分になりたいですね。
一歩ずつ、一緒に前を向いて進んでいきます。
クマ問題から考えた「生きること」の話
最近、クマによる被害や駆除のニュースを目にすることが増えました。
人間から見れば危険な存在です。早急に駆除して欲しいと思います。が。確かに熊からすると生きていけないから生きるために移動して来ただけ。とも少しは思うところもあります。ただただ生きようとしてる。意味はそれくらいでしょう。我々の同胞を殺しまくるあいつら人間が憎いから狙ってるわけではないと思います。
食べる。
眠る。
子を育てる。
ただ生きている。
ところが人間は、身を守ることはもちろん、生活のクオリティを求めるとも思います。それを破壊する事象は是正しなければならない。自然淘汰では済まされない。
文明には意味がある。それを壊すものは是正しなければならない。
そんなこんなを考えていると何故か社会のため、自分のため、はたまた幸福とは?などとわけのわからない思考に陥りました。
「私は何のために生きるのか」
「人生に意味はあるのか」
「私は社会にどんな価値を生み出せるのか」
数学に意味はあるのか
その流れで思い出したのが、数学者・思想家の岡潔氏の言葉です。
「数学なんかして人類にどんな利益があるのか」
そう問われたとき、岡潔氏は、
「スミレはただスミレのように咲けばよい」
という趣旨のことを語っています。
スミレは利益のために咲いているわけではありません。
ただスミレとして咲いている。
人間も本来はそうなのかもしれません。
意味を求めすぎる苦しさ
現代社会では、
役に立つこと。
成果を出すこと。
お金を稼ぐこと。
そうしたことに価値が置かれがちです。
しかし、それだけでは苦しくなることがあります。
生きる意味が見つからない。
社会の役に立てていない気がする。
何者にもなれていない。
そんな不安に襲われることがあります。
でも自然界を見れば、
鳥も花も木も、
意味を証明するために存在しているわけではありません。
ただ存在している。
ただ生きている。
禅が示すもの
この話は最終的に禅にも通じているようにも思います。
答えを探し続けるのではなく、
ただ座る。
ただ生きる。
ただ今日を味わう。
禅には「只管打坐(しかんたざ)」という言葉があります。
ただひたすら坐る。
意味を探すことよりも、今ここに在ること。
それが本質なのかもしれません。
私なりの結論
結局のところ、
生きる意味があるから生きるのではなく、
生きているから意味が生まれる。
そんな気がしています。
クマはクマとして生きる。
そして必要とあれば駆除する。
これも生存するための自然な流れ。
スミレはスミレとして咲く。
人間もまた、人間として今日を生きればよい。
もし今、幸せを感じながら暮らせているなら、それで十分なのかもしれません。
と答えの出ない問いを抱えながら、それでも今日を楽しみ、美味しいものを食べ、好きな人と笑って暮らせるなら、それもまた十分に幸せな人生なのだと思う。
そんなことを感じた今朝でした。
さあ、楽しい1日にするぞ!っと。
スミレはただスミレのように
数学者の岡潔(おか きよし)さんの言葉に、深く共感するものがあります。
「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。」
人からはよく「こうすれば良い」「ああすれば良い」「これが常識だ」なんて言われます。
確かに、そうかもしれない。
でも、自分は自分。
今置かれた環境は、ある種、天から与えられたものであり、必然なのだと感じています。
それを努力もしないで、環境や境遇のせいにはしたくないと思っています。
今はそうじゃ無いかもしれませんが。
でもまずはそこから、自分らしく生きるようにしていかなくてはならないと思います。
与えられた仕事を、自分の納得いく形で
与えられた環境で、与えられた仕事をまっとうする。
やめたければ、やめればいい。
でも出来る限り、自分の納得いく形でやりたい。
散歩をしていても、いろんな花に出会います。
恵まれた土壌で咲く花もあれば、一見不遇としか言えないような、コンクリートやアスファルトの隙間で咲いている花もある。
どんなところであっても、花は咲くんだなと思います。
苦難困難があるから、人は育つ
ただ、空気がないところや、周りに何も無いところでは、さすがの花も育てません。
高山の高いところや頂上では、草花が生育できない環境だったりもします。
人も社会も、きっと同じなのかなと感じます。
良いものも悪いものも、両方あって初めて育っていくのかもしれないなと感じます。
周りに何も無ければ、育つも何もない。
だからこそ、苦難困難があるから良いのだと思います。
置かれた環境で、いかに伸び、いかに育ち、自分の花を咲かせるか。
そして、しっかりと種子(たね)を作り、次世代へ繋いでいくのか。
誰がどう言うかではなく、私は私に与えられた場所で、精一杯生きていきたいと思います。
朝の勉強会から朝礼指導へ。スポーツのウォーミングアップに学ぶ「強い組織」の作り方
本日は、少し早起きをして朝の勉強会に参加してきました。
インプットを終えた後は、その勉強会の委員会活動の一環として、ある企業様のもとへ「朝礼指導員」としてお邪魔し、朝礼指導を行ってきました。
突然ですが、みなさんの会社では「朝礼」を行っていますか?
世間一般では、朝礼というと「形骸化している」「話が長くて退屈」「ぶっちゃけ面倒くさい……」と、どちらかと言えば嫌がられがちな存在かもしれません。
しかし、今日改めて現場で指導をさせていただき、強く確信したことがあります。
それは、「朝礼を制する企業は、業績を伸ばす」ということです。
今日は、嫌われがちな朝礼が持つ、本当の重要性についてお話しさせてください。
1. 朝礼は、組織が「一丸」となるための聖域
朝礼の最も大きな役割は、「会社と社員の一体感」を生み出すことにあります。
日常の業務に追われていると、どうしても自分の目の前のタスクだけに視野が狭くなりがちです。そこで毎朝、全員で同じ時間と空間を共有する。
会社の方向性を再確認する
チーム全体で一丸となって目標達成に向かうエネルギーを充填する
バラバラの方向を向きそうになる組織のベクトルを、ギュッと一つに合わせるために、朝礼はなくてはならない時間なのです。
2. スポーツでいう「試合前のミーティングとウォーミングアップ」
朝礼を「面倒な儀式」と捉えてしまうのはもったいないことです。
これをスポーツチームに置き換えてみてください。
どんなに強いチームでも、試合(仕事)の直前にミーティングもせず、作戦の申し合わせもせず、お互いの声を掛け合うこともなく、いきなりコートに立つなんてことは絶対にありませんよね。
さらに言えば、体を動かすためのウォーミングアップも不可欠です。
ビジネスにおいて、プロの「サービス提供者」としての礼儀や挨拶を徹底することは、まさに試合前のウォーミングアップそのもの。
朝礼でしっかり声を出し、笑顔を作り、お辞儀を合わせることで、心と体のスイッチが「プロモード」へと切り替わるのです。
「朝礼=仕事という試合に勝つための、最高の準備時間」
そう捉え直すと、10分の朝礼の重みがまったく変わってきます。
最後に:業績を伸ばすために「実は一番大切なこと」
売上や利益といった「業績」は、日々の小さな行動の積み重ね、そして社員一人ひとりのモチベーションの総量によって決まります。
朝礼を通じて、会社の想いが社員に伝わり、社員同士の絆が深まり、最高のウォーミングアップができた状態でスタートする1日。
これが1ヶ月、1年と積み重なったら、組織にどれほど大きな差が生まれるでしょうか。
「たかが朝礼、されど朝礼」
業績を伸ばしたい、組織をもっと活性化させたいと考えている経営者やリーダーの方こそ、ぜひ朝礼の持つ本当の力を信じて、見直してみてはいかがでしょうか。
今日お邪魔した企業様の、真剣な眼差しとこれからの変化が今からとても楽しみです!
素晴らしい機会をいただき、ありがとうございました。

