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2026-06-12 09:18:00

クマ問題から考えた「生きること」の話

最近、クマによる被害や駆除のニュースを目にすることが増えました。

人間から見れば危険な存在です。早急に駆除して欲しいと思います。が。確かに熊からすると生きていけないから生きるために移動して来ただけ。とも少しは思うところもあります。ただただ生きようとしてる。意味はそれくらいでしょう。我々の同胞を殺しまくるあいつら人間が憎いから狙ってるわけではないと思います。

食べる。
眠る。
子を育てる。

ただ生きている。

 

ところが人間は、身を守ることはもちろん、生活のクオリティを求めるとも思います。それを破壊する事象は是正しなければならない。自然淘汰では済まされない。

文明には意味がある。それを壊すものは是正しなければならない。

そんなこんなを考えていると何故か社会のため、自分のため、はたまた幸福とは?などとわけのわからない思考に陥りました。

「私は何のために生きるのか」
「人生に意味はあるのか」
「私は社会にどんな価値を生み出せるのか」

数学に意味はあるのか

その流れで思い出したのが、数学者・思想家の岡潔氏の言葉です。

「数学なんかして人類にどんな利益があるのか」

そう問われたとき、岡潔氏は、

「スミレはただスミレのように咲けばよい」

という趣旨のことを語っています。

スミレは利益のために咲いているわけではありません。

ただスミレとして咲いている。

人間も本来はそうなのかもしれません。

意味を求めすぎる苦しさ

現代社会では、

役に立つこと。
成果を出すこと。
お金を稼ぐこと。

そうしたことに価値が置かれがちです。

しかし、それだけでは苦しくなることがあります。

生きる意味が見つからない。

社会の役に立てていない気がする。

何者にもなれていない。

そんな不安に襲われることがあります。

でも自然界を見れば、

鳥も花も木も、

意味を証明するために存在しているわけではありません。

ただ存在している。

ただ生きている。

禅が示すもの

この話は最終的に禅にも通じているようにも思います。

答えを探し続けるのではなく、

ただ座る。

ただ生きる。

ただ今日を味わう。

禅には「只管打坐(しかんたざ)」という言葉があります。

ただひたすら坐る。

意味を探すことよりも、今ここに在ること。

それが本質なのかもしれません。

私なりの結論

結局のところ、

生きる意味があるから生きるのではなく、

生きているから意味が生まれる。

そんな気がしています。

クマはクマとして生きる。

そして必要とあれば駆除する。

これも生存するための自然な流れ。

スミレはスミレとして咲く。

人間もまた、人間として今日を生きればよい。

もし今、幸せを感じながら暮らせているなら、それで十分なのかもしれません。

と答えの出ない問いを抱えながら、それでも今日を楽しみ、美味しいものを食べ、好きな人と笑って暮らせるなら、それもまた十分に幸せな人生なのだと思う。

そんなことを感じた今朝でした。

さあ、楽しい1日にするぞ!っと。