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2026-06-26 09:54:00

「自分が正しい」という罠。組織や人間関係のループを抜け出すための、もう一つの視点

 

「良かれと思って動いてるのに、なぜか周囲とうまくいかへん」

「自分が正しいと信じて進めてるのに、なぜか組織や関係がギクシャクしてしまう」

 

そんな風に、凄く歯痒い思いをしたこと、ありませんか?

 

「人の振り見て我が振り直せ」「反面教師」「人こそ人の鏡」……。

古くから伝わるこれらの言葉は、私たちが日々直面する人間関係の本質を、ほんまに驚くほど敵確に表してるなと感じます。

 

今回は、私たちがつい陥りがちな「自分が正しいと思いがち」な罠と、そこから一歩抜け出して成長するためのヒントについて考えてみたいと思います。

 

1. 理念が合う「内輪」で進めても、なぜか崩壊する理由

 

物事をスムーズに進めるために、理念や思想が合う個別のメンバーにアプローチしたり、気の合う「内輪」だけで動かそうとしたりすること、ありますよね。

 

確かに、最初はうまくいきます。スピード感も出ます。

でも、気づけば組織全体や、大切やったはずの家族・友人関係が崩壊の危機に瀕してる……なんてことも、実は珍しくないです。

 

なぜ、同じようなトラブルのループが起きてしまうのか?

 

理由はシンプル。

自分が正しい」と思い込んで、それを相手に強引に進めようとしてまうからです。

 

仮に一時的にうまくいったとしても、相手は自分の「完全なコピー人間」じゃないです。価値観のズレは絶対に生じます。自分が正しいという前提のままやと、いずれどこかで大きな衝突が生まれて、また同じループへと戻ってしまうんです。

 

2. 実は、周囲の人は「自分を映す鏡」

 

ここで一度、立ち止まって「我が振り」を直してみる必要があります。

 

・ 自分の進め方は強引すぎんかったか?

・ 相手に嫌な思いをさせへんかったか?

・どうやったら気持ちよく理解してもらえるやろう?

・自分が相手の立場やったら、どう思うやろう?

 

「類は友を呼ぶ」とも言うけど、実は自分の周りにある組織やコミュニティは自分自身を映し出す鏡やったりします。

 

気づけば周りには、考え方だけじゃなくて、性格や行動の指向、そして「自分が正しいと思う比率が高い人(=頑固な人)」ばかりが集まってたりしませんか?

相手の姿は、まさに自分自身の姿かもしれません。

 

そこから一歩抜け出して成長するために必要なこと。それこそが「客観的な視点を持つこと」。

 

 3. 「配慮」と「英断」のバランス

 

とはいえ、客観的になりすぎて相手のことばかり考えてたら、今度は物事が一切前に進まなくなってまいますよね。これでは本末転倒です。

 

時には、たとえ嫌われようが、リーダーとして、一人の人間として「英断」を下すことも絶対に必要。

 

ただ、大切なのはそのプロセスの違いやと思います

・× 独断専行: 自分の正しさを押し付け、一人で決めて突っ走る

・〇 話し合いを経た英断: 事前にしっかりと議論を尽くし、互いの意見を交わした上で、最終的な決断を下す

 

しっかりとした話し合いのプロセスを経ていれば、たとえ結論が相手の望むものではなかったとしても、「そこまで話し合った上での決定なら」と、多少なりとも理解してもらえと思います。

 

4. 最後は「相手の課題」として見守る

 

もし、徹底的に議論を重ねて、プロセスを踏んで英断を下したにもかかわらず、なお大きな不満を抱いて反発してる人がいたとしたら……。

 

それは厳しいけど、「相手の成長がまだ足りない」ということなのかもしれません。

 

そこから先はもうあなたの課題ではなく、相手の課題です。彼ら彼女らがいつか自ら気づき、成長していく姿を、信じて静かに見守ることも、時には必要です。

 

おわりに

 

周囲の人間関係に悩んだときは、まずは「人こそ人の鏡」という言葉を思い出して、自分の客観的な姿を振り返ってみること。

 

そして、独りよがりではない「対話」を重ねた上で、ブレずに英断を下していくこと。

 

このバランスを意識するだけで、いつも同じところで引っかかっていた人間関係のループから、きっと抜け出せるはずやと思います。私自身だけでなく、みなさんとその周りの環境が、より心地よく、共に成長できる場所に変わっていくことを願っています。

 

セカンドストリートブランド出張買取

2026-06-25 21:29:00

LINE公式アカウントを大きくリニューアルしました

最近、お店のLINE公式アカウントを大幅に見直しました。

今までも運用はしていましたが、正直なところ「とりあえず作っている状態」だった部分もありました。

リッチメニューを作ったり、プロフィールを設定したり。

それなりに形にはなっていたのですが、

「初めてお店を知った人に、何が伝わるんやろう?」

と改めて考えるようになりました。

そこで今回、LINE公式アカウントを一から見直してみることにしました。

予約導線やGoogle口コミへの導線を整えたり、ビジネスプロフィールを作り直したり。

お弁当やご宴会コース、兵庫の地酒の紹介も追加しました。

でも、作業を進めながら気付いたことがあります。

それは、

「うちのお店は、もつ鍋だけの店ではないな」

ということです。

もちろん看板メニューはもつ鍋です。

でも僕自身が本当に作りたいのは、

「人と人がつながる場所」

なんだと思います。

家族が集まる。

仲間が集まる。

仕事の同僚が集まる。

初めて会った人同士が仲良くなる。

そんな時間を作る場所。

だから今回のプロフィールも、単なるメニュー紹介ではなく、

「iamiとはどんな店なのか」

を少しでも伝えられる内容に変更しました。

そして今回のリニューアルで、かなりAIにも相談しました。

実は個人事業主って、相談相手がいないことが多いんです。

もちろん家族や友人に相談することはありますが、

お店のLINEをどうするか。

メニュー表をどうするか。

POPをどうするか。

そんな細かいことまで相談できる相手はなかなかいません。

だから今までは、

「自分で考えないと」

「自分の力でやらないと」

と思っていました。

実際、画像ひとつ作るのにも何時間も悩んだり、文章を書いては消してを繰り返したり。

それも大切な時間だったと思います。

でも今回AIを使ってみて思ったのは、

自分で考えなくてよくなるわけではないということです。

むしろ逆でした。

自分の考えや想いを伝えて、

「こういうことがしたい」

「これは何か違う」

「もっとこんな感じ」

と対話しながら形にしていく。

だから出来上がったものは、誰かに作ってもらったものというより、自分の考えを整理して形にしたものに近い感覚があります。

そして何より、

自分では気付いていなかった考え方や、自分の中にある想いを言語化してもらえることがあります。

今回もLINEを見直していく中で、

「人と人がつながる場所を作りたい」

という自分の根っこを改めて確認することができました。

便利な時代になったなぁと思います。

ただ、どれだけAIが進化しても、人と人が顔を合わせて話したり、一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んだりする時間の価値はなくならない気がしています。

だからこそ、これからもiamiは、

もつ鍋と地酒を囲みながら、人と人がつながる場所を目指していきたいと思います。

まだまだ改善途中ですが、少しずつ育てていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

北海道リゾートライナー

2026-06-24 08:03:00

アメリカンサイズに驚いた日

アメリカンサイズにびっくり

高校時代の海外研修の続きです。

ある日、ホストファミリーのアーネストに、サンフランシスコに住む従兄弟のところへ連れて行ってもらいました。

どれくらいかかったかは覚えていませんが、そこそこ時間をかけて行った記憶があります。

その時に連れて行ってもらったのがピザ屋さん。

そんなに大きなお店ではなかったと思うのですが、とにかくピザが大きかったんです。

一切れが日本のSサイズのピザ一枚分くらい。

しかもピザ一枚がめちゃくちゃ大きい。

高校時代の机を二つ並べたくらいのサイズだったような気がします。

当時の僕は、

「こんなん食べきれるん?」

と思いました。

でも帰国の3日くらい前に遊園地へ行った時も同じようなサイズのピザが売られていました。

ドリンクも日本のLサイズ3個分くらいありそうな大きさ。

今思えば、そのピザ屋さんが特別だったわけではなく、それがアメリカでは普通だったんでしょうね。

まさにアメリカンサイズ。

食文化の違いを肌で感じた瞬間でした。

後に知ることになるのですが、さすがのアメリカ人もあのサイズを1日で食べるわけではなく、何日かに分けて食べるそうです。

それを聞いて少し安心しました(笑)

それでも、あのサイズ感を見たら、

「そりゃ太るよなぁ」

と思ってしまいます。

テレビなんかでアメリカの方を見ると、中年くらいになると体格の良い方も多いですが、何となく納得でした。

以前の記事にも書きましたが、アメリカの食文化は本当にダイナミックでした。

ただ、不思議と日本食が恋しくなることはありませんでした。

短い研修期間だったからかもしれません。

念のために持って行っていたパックご飯やインスタントみそ汁も使うことなく、確かホストファミリーに食べてもらった記憶があります。

みそ汁は結構好評でした。

やっぱり日本の食文化もすごいんだなと思いましたね。

あれから随分時間が経ちました。

Montereyも当時とは変わっていると思います。

だからこそ、今頑張っている英語学習を継続して、いつかもう一度Montereyを訪れたいと思っています。

次に行く時は高校生ではなく、おじさんになった僕ですが(笑)

当時お世話になったホストファミリーのみなさんと、また楽しく話ができたら嬉しいです。

 

 

北海道リゾートライナー

2026-06-23 16:40:00

「罰する」だけで犯罪は防げるのか?死刑制度の抑止力と、これからの社会にできること

凶悪な事件の報道を目にするたび、胸が締め付けられるような思いになります。「二度とこのような事件が起きてほしくない」「もっと厳しい罰を」と願うのは、社会として当然の感情です。

 

私自身、死刑制度については「存続派」の立場を取っていますが、同時に「厳罰化するだけで、本当にこれからの犯罪を防げるのだろうか?」という、言葉にできない割り切れなさも感じています。

 

かつて中世ヨーロッパでは、現代からは想像もつかないほど残酷な公開処刑が数多く行われていました。しかし歴史を振り返れば、それほどの恐怖をもってしても、犯罪を抑止できたわけではなかったようです。だからこそ歴史は、単に罰するだけでなく「犯罪者の再教育」という方向へと舵を切ってきた経緯があります。

 

実際、過去の重大事件を振り返ると、犯人が「どうせ自分の命が終わるなら、最後に大事件を起こしてやろう」といった、信じがたい自暴自棄な心理を裁判で口にしたケースもありました。自分の命すら投げ出している人間に対しては、どれほど重い刑罰を用意しても、抑止力として機能しなくなってしまうという、恐ろしいパラダイムシフトが起きているのです。

 

世論が感情的に厳罰化を求める気持ちは痛いほど分かります。しかし、歴史や犯罪心理の複雑さを見る限り、刑罰の重さだけで犯罪を抑止するのは限界があるのかもしれません。

 

幸いなことに、統計的に見れば日本の人口あたりの殺人発生件数は長期的に減少傾向にあります。現在の法制度や治安維持は、全体として一定の機能を発揮していると言えます。ですから、制度を根本からひっくり返すのではなく、基本の枠組みは維持しながら、時代の変化に合わせて「都度、柔軟にアップデートしていく」スタンスが現実的ではないでしょうか。

 

その上で、私たちが今、現実的なアプローチとして目を向けるべきは「現場の対処能力の強化」だと考えています。

 

例えば、危険な状況に直面した現場の警察官が、より迅速かつ安全に暴漢を制圧できるよう、テーザーガン(非致死性兵器)の導入を本格的に検討したり、拳銃の使用基準を時代に合わせて見直したりすることです。犯行に及ぼうとする人間を「事後の刑罰」で脅すのではなく、「その場(犯行中)で確実に、これ以上の被害を出さずに制圧する」という防衛力を高める方が、結果として多くの尊い命を守ることにつながるはずです。

 

人間社会の構造上、どれだけ対策を講じても「犯罪を完全にゼロにする」ことは不可能かもしれません。組織や集団のバランスを表す「2:6:2の法則」のように、どうしても一定の割合で社会のルールから逸脱してしまう存在は生まれてしまうのが現実です。

 

だからこそ、「ゼロにできないから諦める」のではなく、「どうすれば、悲しい事件を最小限に抑えられるか」を現実的に問い続ける必要があります。

 

法律や刑罰のあり方、現場を守るテクノロジーの導入、そして社会全体のつながり――。感情論に終始せず、多角的な視点から「より良い社会の維持」について、これからも考えていきたいと思います。

 

セカンドストリートブランド出張買取

2026-06-21 11:48:00

高校時代の海外研修⑥ 〜教会で感じた文化の違いと寛容さ〜

 

高校時代の海外研修でホームステイをしていた頃、休日にはホストマザーのコニーが教会へ連れて行ってくれたことがありました。

日曜礼拝です。

当時の私はキリスト教についてほとんど知識がありませんでした。椅子の前で膝をついてお祈りをしたり、神父様のお話を聞いたり。何をしているのかよく分からないまま周りの人たちに合わせて参加していました。

礼拝の途中で赤ワインのようなものを口にする場面もありました。

「飲むふりだけでいいよ」と言われていたのですが、少しだけ口を付けてみると「うわっ!」となった記憶があります。今思えば、あれは赤ワインだったのでしょう。

私は特に何かを熱心に信仰しているわけではありません。

それでも不思議なことに、礼拝が終わった日は気持ちがすっきりしていたことを覚えています。

実は当時、自分が仏教で浄土真宗本願寺派(西本願寺)であることすら、祖父が亡くなるまでよく知りませんでした。

日本では宗教を意識する機会が少ない人も多いと思いますが、海外では自分の宗教や信仰をしっかり認識している人が多いと聞きます。

そんなところにも大きな文化の違いを感じました。

一方で、私が驚いたのは宗教に対する家族の距離感です。

コニーは食事の前に必ずお祈りをしていました。

しかし、一緒に暮らしていた息子夫婦は特にお祈りをするわけではなく、ただ静かに見守っていました。

コニーの信仰は尊重する。

だけど自分たちは自分たち。

その姿がとても自然だったのです。

当時の私はアメリカに対して「個人主義の国」というイメージを持っていました。

しかし実際に見たのは、自分と違う考え方を受け入れる寛容さでした。

その光景を見て、「アメリカって思っていたよりもずっと良いところだな」と感じたことを今でも覚えています。

もちろん、たった1か月の留学です。

見えていたのはほんの表面だけだったと思います。

それでも、あれほど寛容に見えた国で、なぜ争いが絶えないのだろうと不思議に思ったことも事実です。

今振り返ると、様々な地域に様々な思想や宗教があって良いのだと思います。

大切なのは押し付けることではなく、それぞれが納得して信仰すること。

また、その関わり方の深さも人それぞれで良いのではないでしょうか。

人間関係だけでは解決できない悩みや苦しみを、神様や仏様のような目に見えない存在が支えてくれることもあります。

そして宗教には、人々の心を支えたり、社会の秩序を保ったりする役割もあるのだと思います。

高校生だったあの日の体験を思い出しながら、世界中の人たちが互いの違いを認め合い、上手に付き合っていけたらいいなと改めて感じています。

 

セカンドストリートブランド出張買取

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