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『守・破・離』と「型」の大切さ
最近、改めて「守・破・離」という言葉について考える機会がありました。
「型破り」という言葉がありますが、これは単に普通ではないことをするという意味ではありません。
まずは「型」があること。
その型を徹底的に身につけた人が、その先で新しい表現を生み出すこと。それが本当の意味での「型破り」です。
型がなければ、それは型破りではなく、ただの「形無し」になってしまいます。
私自身、接客も料理も居酒屋で学びました。
当時はマニュアルなどなく、上司(私にとっては師匠)の背中を見ながら、一つひとつ経験して覚えていきました。
時には怒られ、叱られながら。
正直、褒められた記憶はほとんどありません。
でも今思えば、何も言われないことこそが「よくできている」という評価だったのかもしれません。
「特に指摘することはない。」
それが当時の精一杯の褒め言葉だったように感じます。
マニュアルがないからこそ、自分で考え、経験し、その積み重ねが自分だけの『型』になっていったのだと思います。
そして、一度身体で覚えた型は簡単には消えません。
マニュアルは見返さなければ思い出せないこともありますが、身体で覚えた型は身体そのものが記憶しています。
もう一つ心に残った話があります。
守・破・離を経て自由になったとしても、もし道に迷ったらどうするのか。
その答えは「一度すべてを捨てて、ゼロに戻ること」。
ある方がこんな例え話をされていました。
コップの水にホコリが浮いていたら、そのまま新しい水を注ぎ足すでしょうか。
きっと一度全部捨てて、きれいな水を入れ直しますよね。
半分だけ残して新しい水を入れても、結局は濁ったままです。
また、コーヒーにミルクを入れたあと、さらに水を足してしまえば、何とも言えない薄いコーヒーになってしまいます。
本当に美味しいものを作るなら、一度ゼロに戻す。
人も同じなのだと感じました。
中途半端に変えようとするのではなく、一度空っぽになって、本当に必要なものだけをもう一度積み上げていく。
その方が、きっと本質に近づけるのでしょう。
私も今、一度ゼロからやってみようと決めました。
これまで積み重ねてきた経験や型は大切にしながらも、余計な思い込みや固定観念は手放してみる。
空っぽのコップに新しい水を注ぐような気持ちで、もう一度、一歩ずつ積み上げていきたいと思います。
守・破・離。
学び続ける人だからこそ、何度でも原点に戻る勇気が必要なのかもしれません。

