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2026-06-21 11:48:00

高校時代の海外研修⑥ 〜教会で感じた文化の違いと寛容さ〜

 

高校時代の海外研修でホームステイをしていた頃、休日にはホストマザーのコニーが教会へ連れて行ってくれたことがありました。

日曜礼拝です。

当時の私はキリスト教についてほとんど知識がありませんでした。椅子の前で膝をついてお祈りをしたり、神父様のお話を聞いたり。何をしているのかよく分からないまま周りの人たちに合わせて参加していました。

礼拝の途中で赤ワインのようなものを口にする場面もありました。

「飲むふりだけでいいよ」と言われていたのですが、少しだけ口を付けてみると「うわっ!」となった記憶があります。今思えば、あれは赤ワインだったのでしょう。

私は特に何かを熱心に信仰しているわけではありません。

それでも不思議なことに、礼拝が終わった日は気持ちがすっきりしていたことを覚えています。

実は当時、自分が仏教で浄土真宗本願寺派(西本願寺)であることすら、祖父が亡くなるまでよく知りませんでした。

日本では宗教を意識する機会が少ない人も多いと思いますが、海外では自分の宗教や信仰をしっかり認識している人が多いと聞きます。

そんなところにも大きな文化の違いを感じました。

一方で、私が驚いたのは宗教に対する家族の距離感です。

コニーは食事の前に必ずお祈りをしていました。

しかし、一緒に暮らしていた息子夫婦は特にお祈りをするわけではなく、ただ静かに見守っていました。

コニーの信仰は尊重する。

だけど自分たちは自分たち。

その姿がとても自然だったのです。

当時の私はアメリカに対して「個人主義の国」というイメージを持っていました。

しかし実際に見たのは、自分と違う考え方を受け入れる寛容さでした。

その光景を見て、「アメリカって思っていたよりもずっと良いところだな」と感じたことを今でも覚えています。

もちろん、たった1か月の留学です。

見えていたのはほんの表面だけだったと思います。

それでも、あれほど寛容に見えた国で、なぜ争いが絶えないのだろうと不思議に思ったことも事実です。

今振り返ると、様々な地域に様々な思想や宗教があって良いのだと思います。

大切なのは押し付けることではなく、それぞれが納得して信仰すること。

また、その関わり方の深さも人それぞれで良いのではないでしょうか。

人間関係だけでは解決できない悩みや苦しみを、神様や仏様のような目に見えない存在が支えてくれることもあります。

そして宗教には、人々の心を支えたり、社会の秩序を保ったりする役割もあるのだと思います。

高校生だったあの日の体験を思い出しながら、世界中の人たちが互いの違いを認め合い、上手に付き合っていけたらいいなと改めて感じています。

 

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2026-06-18 12:00:00

【挑戦】高校時代のアメリカでの苦い記憶と、40代の今、再び動き出す理由

私の高校時代のアメリカでのショートステイの思い出、その続き。

 

休日、ホストファミリーのアーネストホープ夫妻と、その子供たち(サムとエマ)と一緒に街へ出かけたときのこと。日本との文化の違いに、当時の私はかなり衝撃を受けました。

街中での「ホープ!」と、人種のサラダボウル

街を歩いているとき、アーネストとホープの距離が少し離れてしまったんです。

するとアーネストが、そこそこ人がいる街中であるにもかかわらず、大声で「ホープ!ホープ!!」と叫び始めました。

当時の私の感覚だと、日本では離れても大声で名前を叫ぶことは珍しく、体を動かして探しに行くのが普通だったので、そのオープンさにとても驚いたのを覚えています。

さらに、衝撃的だったのはトイレでの出来事。

恐らくアラブ系のご家族に、英語のハンドブックを片手に道を尋ねられたんです。

当時の私は本当に全く英語が話せなかったので、テンパってしまい、

「I’m Japanese. Sorry.」

とだけ伝えて、その場を終えました。

今でも鮮明に覚えているくらい、情けなさと恥ずかしさで、なんとも言えない微妙な気持ちになりました。

教科書で習った「人種のサラダボウル」という言葉通り、多種多様な人種が当たり前に暮らしている世界を目の当たりにした瞬間でもありました。

 

「言い訳」を捨てて、もう一度アメリカへ

 

じゃあ、それから英語ができるようになったかというと……そんなことはありません!(笑)。

ですが、実は今、英語のやり直し学習を始めています!

まだ始めて1週間ほどですが、今はAIや便利なアプリがたくさんある時代。言い訳はできません。あの時の「伝えられなかった悔しさ」を取り戻し、もう一度アメリカに行くことが、今の私の目標です。

できれば、あの時のホストファミリーにもう一度会いたい。

そんな中、タイムリーな出来事がありました。

今、お仕事で数日間インドネシアに行かれている素晴らしい先輩がいるのですが、その方と「お金がない、時間がないって言い訳して動かないのはダメですよね。私もまた海外に行ってみたいです!」という話をしていた時のこと。

「じゃあ、一緒に行きますか?」

と言っていただいたんです。

本当なら「行きます!」と即答したかったのですが……なんと私、パスポートを持っていなかったんです。泣く泣くチャンスを逃し、本当に残念な思いをしました。

だからこそ、やると決めたのでやります。

どんなに時間がかかっても、あれこれ難しく考えず、まずは行く。

その方によると、今月か来月あたりにパスポートの発行手数料が少し安くなるとのこと。

このタイミングを逃さず、近いうちに必ず、まずはパスポートを取りに行ってきます!

目標をしっかり見据えて、言い訳なしで突き進みます。待ってろ、アメリカ!

 

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2026-06-16 14:32:00

【アメリカ滞在記②】5歳で個室、3kgのアイス、紙袋のランチ…!現地で知った驚きのリアルライフ

私の過去を振り返るシリーズ、第2回目です。

前回はカリフォルニア州モントレーに到着するまでのドキドキをお届けしましたが、今回は「現地の家庭と学校生活で驚いたこと」を具体的にお話しします。

日本の当たり前が、次々と覆される毎日が待っていました。

 

 5歳でマイルーム!?アメリカの「自立心」と大豪邸の裏側

ホストファミリーの家で、まず驚いたのが、当時5歳だった息子のサムにすでに立派な子供部屋(個室)があったことです。

幼い頃から一人の人間としてプライベートが守られ、独立性を育む環境がある。これには日本の住宅事情や子育て文化との違いを強く実感させられました。

 

ちなみに、私は研修の同級生と相部屋だったのですが、2階の部屋は日本の感覚からすると十分すぎるほど広々!

廊下を挟んだ向かいにはシャワールームがあり(バスタブは別にあり、普段はあまり使われていない感じでした)、その隣がホスト夫妻の寝室という、まさにアメリカンな間取りでした。

 

さらにワクワクしたのが、階段を降りてすぐの場所にあった「ストックルーム」です。

部屋いっぱいに、缶詰やパスタなどの乾麺、そして「ドリトス」や「オレオクッキー」といったスナック菓子が山積みに!映画で見るような「買い溜め文化」を目の当たりにして、ベースキャンプを見つけたような高揚感がありました。

黄色のスクールバスと、紙袋の「シンプルすぎるランチ」

平日は、現地の「サンタカタリナ・スクール」へ通う日々。

車社会のモントレーは、どこへ行くにも車が必須。私の家からは車で30分以上かかった気がします。毎朝、おばあちゃんのコニーか、息子のアーネストが車で送迎してくれました。現地の学生たちは、あの有名な「黄色のスクールバス」や、家族の車で登校してきます。

 

ここで新鮮だったのが、アメリカの「お弁当」事情。日本のような彩り豊かなお弁当箱……ではなく、薄切りの食パンにハムとチーズを挟んだだけのサンドイッチ(自分で作ります。)と、リンゴやバナナなどのフルーツを、そのまま茶色の紙バッグ(ペーパーバッグ)にポンと入れただけのもの!

 

あまりにシンプルで最初は驚きましたが、これがアメリカンスタイルなんやと感動。(他の日本人のホストファミリーの中には、日本風のお弁当を持たせてくれているところもあったと思います)

 

学校での授業は……正直、英語がまったく分からなかったので、必死すぎて内容はあまり覚えていません(笑)。

ただ、夏休みなので暑いかと思いきや、日中は多少暑くても、意外なほど涼しくて過ごしやすい気候でした。授業後お迎えの車を待つ間、学校の広い芝生広場にただ佇んでいるだけの時間。あの何とも言えない心地いい空気感は、今でも鮮明に胸に残っています。

 

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電子辞書での悪戦苦闘と、3kg(!?)のバニラアイス

 

夕食は、毎日お腹にしっかり溜まるボリューム満点のメニューでした。

大皿にドカンと乗った大きなお肉を取り分けたり、数種類あるサルサミートのようなものを各自が好きなように取って食べたり。すごく美味しかったのですが、あまりのボリュームに、沢山で食べきれなかったのも良い思い出です。

食卓での会話は、当時まだスマホなんてない時代。電子辞書を片手に、悪戦苦闘しながらコミュニケーションを取りました。

 

そういえば、ふと思い出したクスッと笑える失敗談があります。

私が薬屋のことを、「pharmacy」と言わずに「ドラッグストア(drug store)」と言ってしまい、ファミリーが一瞬「???」という空気になったんです。現地でのリアルな言葉選びの難しさを知った瞬間でした。

そして、食後に一番衝撃を受けた光景がこれです。

映画やドラマでしか見たことがない、バケツサイズ(おそらく3キロくらい!)の巨大なバニラアイスの容器。

なんと5歳のサムが、その巨大な容器に自分のスプーンを直接突っ込んで、豪快に食べていたのです……!

「アメリカ、スケールが違いすぎる!」と、心の中で激しく突っ込んだのを今でもよく覚えています。

振り返ってみて

家庭でも学校でも、毎日が新しい発見とカルチャーショックの連続でした。

今こうして書き起こしていても、当時の懐かしい記憶や、あのカリフォルニアの風の涼しさが鮮明に蘇ってきます。

さて、この1ヶ月のアメリカ滞在。

実は、ただ驚くだけでは終わらない、私の内面にさらに深い影響を与える出来事へと繋がっていきます。

 

次回は、この滞在を経て「私自身がどう変わったのか」についてお話ししたいと思います。

また次回の更新も読みに来てください!

 

 

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2026-06-15 07:29:00

私の原点—高校2年生の夏、カリフォルニアで知った広い世界。

今日から新しい試みとして、ブログで「私の過去」を振り返る新シリーズをスタートしたいと思います。

今の自分を形作っている、今でも記憶に鮮明に残っている大切な思い出や、人生のターニングポイントになった出来事を、いくつかのストーリーに分けてお伝えしていけたらなと思っています。

 

すべての始まりは、1ヶ月間のアメリカショートステイ

記念すべき第1回目は、私の人生観を大きく変えた「高校2年生の夏の海外研修」について。

学校の希望者だけが参加するプログラムで、夏休みの1ヶ月間、アメリカのカリフォルニア州モントレー(Monterey)にある「サンタカタリナ・スクール」へショートステイに行きました。

現地ではホームステイを経験。お世話になったのは、温かい5人のファミリーでした。

 おばあちゃんのコニー

 コニーの息子のアーネストと、妻のホープ

 元気いっぱいの子供たち、

5歳のサムと2歳のエマ

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この出会いから、何から何まで新鮮で、衝撃に満ちた1ヶ月間が始まりました。

ドキドキの入国審査と、初めての「チップ文化」

サンフランシスコ国際空港に降り立った瞬間、あたりは見渡す限り外国人ばかり(当然やろうけど!)。

緊張のなか、ドキドキしながら受けた入国審査は今でも忘れられません。必死に「Monterey(モントレー)」「Sightseeing(観光)」と答えたことだけを、今でもよく覚えています。

そして、最初の宿泊先で初めて触れたのがアメリカの「チップ文化」でした。

引率の先生に「枕元に1ドル置いておくように」と言われ、その通りにしたものの、当時の日本人の感覚からすると

「これ、ただの忘れ物やと思われへんかな?」

と、わけわからん不思議な感覚に陥ったのを覚えてます。

靴のまま入る家、プール、そして馬!?

無事にモントレーに到着し、それぞれのホストファミリーの家へ。

一歩足を踏み入れると、そこは「靴のまま生活する」空間。教科書では知っていても、実際に体験するとものすごく新鮮でした。

お世話になった家はめっちゃ大きかったのですが、びっくりしたのはその周辺環境です。

なんと、隣の家の一方にはプライベートプールがあって、もう一方の家では馬を飼ってました。テレビや映画でしか見たことないような光景が、目の前に広がっていました。

日本という「狭い社会」を飛び出して

この日を境に、私の日常は「衝撃の出来事」の連続となりました。

それまで自分がどれだけ日本という狭い社会、小さな価値観の中で生きてきたのかを、身をもって実感させられた1ヶ月でした。このアメリカでの経験は、間違いなく今の私の人格形成に、とても大きな影響を与えています。

……と、今回はここまで!にしておきます。

まずは全体の概要をお話しさせていただきました。

この1ヶ月間に起きた具体的なエピソードや、現地で得た気づきについては、これから何度かに分けてじっくりとお伝えしていきます。

これからの更新も、ぜひ楽しみに待っていてくださいね!

 

 

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2026-05-28 15:56:00

変えられない過去を受け入れ、今を生きる阪神淡路大震災の記憶と、今伝えたい感謝

こんにちは。

今日は、私の人生の根底にあり、今も日々自分に問いかけ続けている「感謝」について、書いてみようと思います。

 

私は、小学5年生の時に「阪神淡路大震災」を経験しました。

あの日、「当たり前の日常」が一瞬にして崩れ去りました。

目の前にあった祖父母の家は全壊。祖父母が生き埋めになりました。そんな絶望の中、助け出してくれたのは、普段は少し仲違いをしていたご近所の方でした。

 

発災したその瞬間、子どもの私は不謹慎にも「学校が休みになるかもしれない」なんて、少し嬉しい気持ちを抱いたことを覚えています。しかし、時間の経過とともに状況の深刻さがわかり、不安と恐怖の気持ちで一杯になりました。

 

そして、発災後しばらくして広がった火災から逃れるため、海側へと避難しました。

警察官だった父は、翌朝、私に向かって「お母さんたちを頼むな」と言い残し、自分の使命を果たすために仕事へと向かいました。

その夜、暗闇の中で一晩中ラジオから聞こえていたのは、刻一刻と増えていく死者数の数字でした。

 

学校に行けること、友達に会えること。

家族、祖父母、叔父、親戚、そしてご近所さんがそこにいてくれること。

普通に朝を迎えて、普通に生活できること。

それらがどれほど有り難く、奇跡的なことなのかを、私は身をもって知りました。

日常があまりにスムーズに流れていると、私たちはこの「当たり前」をどうしても忘れがちになってしまいます。

だからこそ、私は「感謝の心」を持つだけでなく、それをしっかりと言葉に、そして行動に表すことが何よりも大事だと考えています。

家族、ご先祖さま、この地球、宇宙、この日本

どれか一つでも欠けていたら、今ここにある私の命はありませんでした。

 

起こってしまった過去の事実は、どうあがいても変えることはできません。

できるのは、それをただ受け入れること。そして、その経験を自分なりにどう解釈し、これからの生き方に繋げていくかです。

 

過去を何とか受け入れた私が、今、心から思うこと。

それは、自分の思いのままに、周りへ感謝を行動で示していくということです。

今日もこうして生きていることに、心から感謝します。

そして、この世界に生きるすべての人に、真の平安が訪れることを本当に心から願っています。

今日を生きているのは当たり前ではない。

しっかり生きていきます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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