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高校時代の海外研修⑥ 〜教会で感じた文化の違いと寛容さ〜
高校時代の海外研修でホームステイをしていた頃、休日にはホストマザーのコニーが教会へ連れて行ってくれたことがありました。
日曜礼拝です。
当時の私はキリスト教についてほとんど知識がありませんでした。椅子の前で膝をついてお祈りをしたり、神父様のお話を聞いたり。何をしているのかよく分からないまま周りの人たちに合わせて参加していました。
礼拝の途中で赤ワインのようなものを口にする場面もありました。
「飲むふりだけでいいよ」と言われていたのですが、少しだけ口を付けてみると「うわっ!」となった記憶があります。今思えば、あれは赤ワインだったのでしょう。
私は特に何かを熱心に信仰しているわけではありません。
それでも不思議なことに、礼拝が終わった日は気持ちがすっきりしていたことを覚えています。
実は当時、自分が仏教で浄土真宗本願寺派(西本願寺)であることすら、祖父が亡くなるまでよく知りませんでした。
日本では宗教を意識する機会が少ない人も多いと思いますが、海外では自分の宗教や信仰をしっかり認識している人が多いと聞きます。
そんなところにも大きな文化の違いを感じました。
一方で、私が驚いたのは宗教に対する家族の距離感です。
コニーは食事の前に必ずお祈りをしていました。
しかし、一緒に暮らしていた息子夫婦は特にお祈りをするわけではなく、ただ静かに見守っていました。
コニーの信仰は尊重する。
だけど自分たちは自分たち。
その姿がとても自然だったのです。
当時の私はアメリカに対して「個人主義の国」というイメージを持っていました。
しかし実際に見たのは、自分と違う考え方を受け入れる寛容さでした。
その光景を見て、「アメリカって思っていたよりもずっと良いところだな」と感じたことを今でも覚えています。
もちろん、たった1か月の留学です。
見えていたのはほんの表面だけだったと思います。
それでも、あれほど寛容に見えた国で、なぜ争いが絶えないのだろうと不思議に思ったことも事実です。
今振り返ると、様々な地域に様々な思想や宗教があって良いのだと思います。
大切なのは押し付けることではなく、それぞれが納得して信仰すること。
また、その関わり方の深さも人それぞれで良いのではないでしょうか。
人間関係だけでは解決できない悩みや苦しみを、神様や仏様のような目に見えない存在が支えてくれることもあります。
そして宗教には、人々の心を支えたり、社会の秩序を保ったりする役割もあるのだと思います。
高校生だったあの日の体験を思い出しながら、世界中の人たちが互いの違いを認め合い、上手に付き合っていけたらいいなと改めて感じています。

