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心の欲するままに生きる
今までの人生を振り返ってみて、今のところ、いちばん楽しかったのは高校3年間。
本当に好きなことをしまくった3年間だった。
自分の思い描いたように過ごせて、毎日が楽しくて、充実していた。
なんであんなに楽しかったんやろう?
そんなことを考えていたら、改めて気づいたことがある。
自分の心に正直に生きることって、やっぱり大事なんやな。
やっぱり神戸がよかった
中学時代も、決して楽しくなかったわけではない。
ただ、生まれ育った場所ではないところの学校だったこともあり、心のどこかには、いつも故郷の神戸があった。
高校進学のとき、私立なら場所は選ばなくていいという話だった。
当初は公立高校に進学する手筈になっていたけれど、ギリギリになって、やっぱり神戸がいい!と思った。
そして、私立高校を専願で受験することを決意。
両親に自分の本心を伝えた。
高校進学で無理を言うのだから、できるだけ負担はかけたくない。そんな思いもあった。
それでも、本心を伝えたことで、神戸の高校に通わせてもらえることになった。
今振り返っても、あのとき自分の気持ちを伝えて本当によかったと思う。
おかげで、最高の3年間が始まった。
働くことが、楽しくて仕方なかった
高校1年生のときは、両親、特に父からアルバイトを頑なに禁止されていた。
でも、2年生になってから、なんとか許してもらえるように持っていった(笑)。
厳密には、高校1年生の年末年始に郵便局でアルバイトをしたのが最初だったけれど、自分で仕事をして、給料をもらうという経験は本当に楽しかった。
働くことが楽しくて、楽しくて、仕方なかった。
ある程度のお給料さえもらえれば、あとは何時間でも残業したい!
そんなことを思うくらい、仕事そのものが楽しかった。
今考えたら、すごいことやなと思う。
もちろん、お金を稼げることも嬉しかった。
自由に使えるお金が増えたことで、プライベートの楽しみも広がった。
遊びも、恋愛も、友達との時間も。
毎日が楽しすぎた。
学校では、ホームメイキング部と放送部を掛け持ち。
放送部には2年生の途中から入部した。
当時、廃部寸前だった放送部で、気づけば部長になっていた。
そして、NHKのコンクールへの出場を決め、みんなでトレーニングを始めた。
僕たちの代では全国大会に進むことはできなかったけれど、卒業後には後輩たちが近畿大会で入賞し、その後は全国大会にも進んでいたと思う。
自分たちが始めたことが、その先につながっていく。
今思えば、これも嬉しい経験だった。
さらに、学校のプログラムでアメリカへ1か月間の短期留学。
日本では当たり前だと思っていたことが、海外では当たり前ではない。
逆に、日本にはない考え方や文化が、そこにはある。
「日本の当たり前は、日本の当たり前なんやな」
そんなことを実感する、感動の連続だった。
やりたいことをやり、働き、遊び、恋愛をして、新しい世界を知る。
本当に、自分の人生を生きている感覚があった。
本心を抑えて選んだ進路
そんな最高の高校生活も、やがて終わりが近づいてくる。
進路を考える時期になった。
僕の本心は、声優の専門学校に行くことだった。
というのも、当時から「いい声やね!」と言ってもらえることが結構あったから。
そして、それは今に至るまで変わらず、ありがたいことに今でも時々言っていただける。
そんなこともあって、声を使う仕事に興味があったんやと思う。
……ということで!
僕の声が気になる方は、ぜひiamiに聴きに来てください(笑)
おいしい料理とお酒をご用意して、お待ちしております!
……と、さりげなく宣伝を挟んだところで(笑)。
話を戻すと、僕は自分の本心とは違う進路を選ぶことになる。
高校進学では両親に無理を言って行かせてもらった。
だから、次は公立大学に進学するのが一番いい。
いつの間にか、そんなふうに自分で決めつけていた。
本当に自分がどうしたいのか。
その気持ちよりも、親に負担をかけないことを優先して、公立大学への進学を選んだ。
そして、激しく後悔した。
紆余曲折があり、大学は6年かけて卒業。
就職活動もせず、2年間フリーターをした。
その後、就職活動を始めたものの、なかなか仕事が見つからない。
ようやく飲食店に正社員として就職することができた。
ここからの日々は、今の自分の土台になっている。
仕事を覚え、経験を積み、たくさんのことを学んだ。
ただ、後半は地獄のような日々だった。
原因の分からない病気で、両手の指の爪をすべて失った。
喘息も恐ろしいほど悪化し、命の危険を感じるほどになった。
さすがに、このままではいけないと思った。
自分に合いそうなお医者さんを必死に探し、名古屋でようやく出会うことができた。
初診は厳しいものだった。
でも、僕のメンタル面まで見抜かれたような感覚があった。
「この人や!」
そう思い、治療を受けることにした。
その後、半年ほどで完治。
さらに、転職活動と並行して、子どもの頃から抱えていた右首の腫瘍の治療にも向き合った。
小学校4年生の頃から抱えていた、珍しい病気による腫瘍だった。
放射線治療を決意し、治療後も毎年通院を続けた。
そして、こちらも完治の診断を受けることができた。
今思えば、あの頃は自分の人生を立て直すための、大きな転機だったのかもしれない。
人生が動くとき
転職先は、比較的すぐに決まった。
大阪のもつ鍋屋さんだった。
いい会社だったし、ここでもたくさんのことを学ばせてもらった。
ただ、1年ほど経った頃、自分の中にやりたいことが生まれた。
それが、介護の世界だった。
介護の仕事を3年間経験し、その後、起業。
そして、今に至る。
こうして振り返ってみると、人生は決して一直線ではなかった。
思い通りにならないこともあった。
後悔もした。
病気にもなった。
苦しい時期もあった。
でも、その一つひとつが今の自分につながっている。
そして、特に印象に残っているのが、高校時代と転職を決意した頃。
どちらも、自分の中に「こうしたい!」という思いがあって、それに向かって動いていた時期だった。
もちろん、すべてが順調だったわけではない。
それでも、楽しかった。
充実していた。
生きるために、仕方なく働いていたわけではなかった。
働くことそのものが楽しかった。
喜びだった。
だから、仕事だけでなく、生活のすべてが楽しかったのかもしれない。
自分の心に正直に生きる
今、改めて思う。
自分の心が欲しているものを、大切にして生きていきたい。
もちろん、何でも自分の思い通りにすればいいという話ではない。
自分の人生には、自分で責任を持たなければならない。
周りの人への感謝も忘れてはいけないし、自分の行動が誰かに与える影響も考えなければならない。
でも、それと同じくらい、自分自身を大切にすることも必要なんだと思う。
自分の本心を押し殺して、周りの期待ばかりに応えようとしていないか。
本当はやりたいことがあるのに、勝手に無理だと決めつけていないか。
本当は嫌なのに、我慢することが当たり前になっていないか。
もちろん、我慢が必要な場面もある。
ただ、自分の人生なのだから、自分の心の声にも耳を傾けてあげたい。
苦難も失敗もあるだろう。
それでも、自分が喜ぶことをする。
自分が心から楽しめることをする。
そして、自分が喜ぶことで、誰かにも喜んでもらえる。
そんな生き方ができたら、きっと幸せなんじゃないかなと思う。
今の僕は、まだ高校時代のような感覚を取り戻せているわけではない。
でも、あの頃の自分を思い出すと、確かにそこにはヒントがある。
好きなことをする。
やりたいことに挑戦する。
働くことを楽しむ。
新しい世界に飛び込む。
そして、自分の人生を自分で選ぶ。
これからの人生でも、そんな感覚をもっと取り戻していきたい。
自分を大切に。
自分の心に正直に。
自分が喜んで、人も喜ぶ。
そんな毎日を積み重ねていこう。
まだまだ、これから。
あの頃のように、心から人生を楽しめる自分へ。
さあ、楽しもう!!

