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沖縄で見た不思議な夢。古いものを手放し、新しいものを抱えて進む
昨夜、とても印象に残る夢を見ました。
夢の舞台は沖縄。
民家なのか、民宿なのかは分かりませんが、そこで何人かの人たちと楽しく過ごしていました。
その中で、少し不思議な出来事が起こります。
ある部屋にいたとき、そこにいた「おばあ」が、2階か3階あたりから外を見て、小さな女の子を見つけました。
でも、周りにいる人たちには、その女の子が見えていない。
なぜか、そのおばあには見えている。
そして僕も、姿がはっきり見えるというより、「そこにいる」という気配を感じていました。
もしかすると、その女の子は、僕たちには見えない存在だったのかもしれません。
その後、僕はその女の子と一緒に行動するようになり、なぜかとても気に入られていました。
そして、その子と一緒に、あるおじいの部屋へ向かうことになります。
ところが、部屋に入る直前、その女の子が転びました。
僕は心配になって、その子を抱きかかえました。
そして、そのまま抱っこして、おじいの部屋へ入っていきました。
そこで、また大きな出来事が起こります。
おじいが転倒したのです。
しかも、ただ転んだだけではありません。
後頭部を強く打ってしまった。
僕は当然、
「救急車を呼ばないと」
と思いました。
ところが、周りにいた人たちは違いました。
治療をするのではなく、そのままおじいの最期を受け入れようとしている。
仲間たちは、おじいのそばにいて、最期を看取ろうとしていました。
最初は、
「なぜ救急車を呼ばないんだ?」
と思いました。
でも、その人たちの鬼気迫るような表情や、その行動に込められた意図を感じているうちに、
「これは、この人たちにとって間違いではないんだ」
と理解していきました。
そこには、僕が知らない風習や価値観がある。
そう感じました。
そして僕は、その場を離れました。
不思議な夢です。
目が覚めてからも、ずっと頭に残っていました。
この夢を自分なりに考えてみた
もちろん、夢占いが科学的に未来を予言するものだとは思っていません。
でも、夢というのは、自分でも普段は意識していない感情や考え方が、象徴的な形で出てくることがあります。
今回の夢を振り返っていて、僕が特に気になったのが、
「少女」と「おじい」
の存在でした。
僕には、この二人が対になっているように感じました。
おじいは、長い時間を生きてきた存在。
少女は、これからの時間を生きていく存在。
つまり、
過去と未来。
古いものと新しいもの。
そんな対比です。
しかも、二人とも「転倒」しています。
でも、その後の僕の行動は全く違いました。
少女が転んだとき、僕は心配して抱きかかえました。
一方、おじいが転んだときは、最初こそ救おうとしましたが、周囲の人たちの意思を理解し、最終的にはその場を離れました。
この違いが、とても印象に残っています。
すべてを救う必要はないのかもしれない
僕はこれまで、
「何とかしなければ」
と思うことが多かったように思います。
困っている人がいれば助けたい。
誰かが喜んでくれるなら、自分も頑張れる。
そんな気持ちは、今でも自分の大切な部分だと思っています。
でも今回の夢を見て、少し違うことを考えました。
すべてのものを救おうとする必要はないのかもしれない。
終わりを迎えているものを、無理に延命させることが、必ずしも正しいとは限らない。
もちろん、現実の事故なら救急車を呼ぶべきです。
これはあくまで夢の中の象徴としての話です。
夢の中の僕は、
「これは自分が介入して、無理に変えることではない」
と理解して、その場を離れました。
その一方で、まだ小さなものは抱きかかえた
ここが、今回の夢で僕が一番気になったところです。
おじいの最期を見届けた僕は、その場を去りました。
でも、その前に僕は、小さな少女を抱きかかえています。
まだ幼くて、自分だけではどうにもならない。
転んでしまった。
だから僕が抱き上げた。
もしかすると、この少女は、
まだ形になっていない未来や可能性
なのかもしれません。
まだ周りの人には見えていない。
でも、自分には何となく気配が分かる。
そして、たまたま出会ったその存在が、自分を気に入ってくれる。
それを守るために、自分が抱きかかえる。
もしそうだとしたら、とても面白い夢です。
古いものを捨てるのではなく、次のものを抱えて進む
最近、僕は新しいことを考えています。
これまで飲食店をやってきた経験。
人と関わってきた経験。
商売で悩んだ経験。
失敗した経験。
誰かに喜んでもらえた経験。
そういったものを土台にしながら、今までとは少し違う分野にも挑戦してみたいと思っています。
だからこそ、この夢が妙に心に残りました。
夢の中の僕は、
おじいの部屋を出て、少女を抱いたままその場を去っています。
過去を否定したわけではありません。
おじいの最期も、しっかりと見届けました。
でも、そこに留まり続けることもしなかった。
そして、小さな少女を抱えて次へ進んだ。
これは今の自分に対する、一つのメッセージなのかもしれない。
そんなふうに感じています。
「何を守り、何を手放すのか」
人生では、何でも大切にすればいいわけではないのかもしれません。
終わりを迎えたものに、いつまでも執着することもある。
逆に、まだ小さくて価値が分からないものを、
「そんなもの無理だよ」
と手放してしまうこともある。
だからこそ、
何を守るのか。
何を手放すのか。
そして、
何を抱えて次へ進むのか。
この選択が大切なのだと思います。
今回の夢が未来を予言しているとは思いません。
でも、自分の心の奥にあるものを見せてくれた夢だとしたら。
僕にとってのメッセージは、こんな言葉になるのかもしれません。
「すべてを救おうとしなくていい。
終わるものは見届ければいい。
そして、まだ小さな可能性が倒れたなら、自分の手で抱き上げればいい。
過去を否定する必要はない。
過去を見届けたうえで、次の場所へ進めばいい。」
目が覚めてからも、なぜかその少女のことが気になっています。
あの子はいったい、何だったんだろう。
そして僕は、これから何を抱えて、どこへ向かうんだろう。
そんなことを考えながら、今日も一日を始めようと思います。

