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2026-07-03 15:21:00

【第2回】血中酸素濃度65%の衝撃。名古屋の恩師が私に見抜いた「病気の正体」

 

前回の記事では、小学校3年生で発症した希少疾患「木村氏病」と20年以上向き合ってきたこと、そして社会人になってから限界を超えた激務の中で、手の爪を失い、慢性喘息によって命の危機を感じるまでになったことを書きました。

「このままでは、本当に死ぬかもしれない。」

そんな恐怖を抱えながら、私は必死にインターネットで情報を探しました。

そして、一人の先生にたどり着きます。

名古屋にある病院の専門医でした。

先生が書かれた本を読んだ瞬間、不思議なくらい心に確信が生まれました。

「この先生なら、きっと救ってくれるかもしれない。」

根拠はありませんでした。
でも、その直感だけを信じて、私は名古屋へ向かいました。

今回は、私の人生を大きく変えた、その先生との出会いについてお話しします。

 

「即入院レベルやけど、君はそうしないやろ?」

病院に着いて最初に測定したのが、血中酸素濃度でした。

結果は、68%。

通常、90%を下回るだけでも危険な状態といわれます。

68%という数字は、本来なら意識を失っていてもおかしくないほど深刻な状態だったそうです。

数値を見た先生は、私の顔を見て最初にこう言いました。

「即入院レベルやけど、君はそうしないやろ?」

その言葉に、正直、めっちゃ驚きました。

なぜなら、ほんまにその通りやったからです。

当時の私は、

「自分が休んだら仕事に穴を空けてしう。」

「周りに迷惑をかけたくない。」

そんなことしか考えられなくなっていました。

先生は、初対面にもかかわらず、私の性格を一瞬で見抜いいました。

そして、緊急処置が始まりました。

点滴を2本。
そこへ必要な薬剤を注入し、酸素吸入と鼻からの吸入を同時に行います。

少しずつ胸が楽になり、苦しくて吸えなかった空気が体の中へ入ってくる。

「あぁ、生き返る。」

そんな感覚を今でも覚えています。

 

「あなたは結局のところ、ヘタレちゃんや!」

処置が終わったあと、先生は1時間以上かけて、じっくり話を聞いてくださいました。

幼少期からの木村氏病との闘い。

自分に自信が持てなかったこと。

社会人になってからの働き方。

自分を押し殺して生きてきたこと。

私は、これまでの人生をすべて話しました。

静かに話を聞き終えた先生が、最後に私へ言った言葉があります。

それは、生涯忘れることのできない言葉でした。

「あなたは結局のところ、ヘタレちゃんや!その性格を直さない限り、病気は治らない。」

さらに続けて、

「薬による治療は、治療にはならない。対症療法にしかならない。本気で根本から治したいなら、その性格を変えなさい。」

私は言葉を失いました。

さらに先生はこう話してくださいました。

「胸の病気(喘息など)になる人には、胸の中に気持ちを溜め込む人が多い。言いたいことを言えず、自分を押し殺してしまう。そのままでは根本的には治らない。」

その言葉は、まるで僕の心の中を見透かされているようでした。

僕は「周りのため」と言いながら、本当は自分の気持ちをずっと我慢していました。

言いたいことも言えない。

やりたいことも後回し。

自分さえ我慢すればいい。

そう思い込んで生きてきていました。

その積み重ねが、体からの悲鳴として現れていた。

喘息も。

爪がなくなったことも。

病も気から。

その言葉の意味を身体を持って去りました。

 

毎週名古屋へ。そして、生き方を変える挑戦

診察を終え、その日は薬を受け取り、兵庫県高砂市の自宅まで車で帰りました。

それから私は、毎週の休みになるたびに三宮や大阪から高速バスに乗り、名古屋へ通う生活が始まりました。

治療を続ける一方で、先生に言われたもう一つの治療も始めました。

それは、

「生き方を変えること」でした。

これまで飲み込んできた言葉を、少しずつ口にする。

やりたいことは、てやってみる。

言いたいことは、相手を思いやりながらも我慢せず伝えてみる。

もちろん、簡単ではありませんでした。

何十年も続けてきた生き方です。

急に変えられるようなものではありません。

それでも、少しずつ。

本当に少しずつ、自分の本音で生きる練習を始めました。

そうやって意識して過ごしていると、あれほど苦しんでいた喘息が、みるみる改善していったのです。

夜中に息が苦しくて目が覚めることも徐々になくなりました。

薬の量も減っていきました。

気がつけば、以前と変わらないくらい元気な体を取り戻していました。

私はその時、確信しました。

心と体は、本当につながっている。

半年ほど通院を続けた頃には症状も落ち着き、私は名古屋の病院を卒業することができました。

 

人生を取り戻した先に見えたもの

通常時の健康な身体になった僕は、前よりも少し前向きになっていました。

「今の職場を卒業して、新しい人生を歩もう。」

そんな気持ちが湧いてきたのです。

そしてもう一つ。

小学校3年生から20年以上付き合ってきた木村氏病とも、今度こそ本当に決着をつけたい。

そんな強い想いが、静かに心の中で燃え始めていました。

次回はいよいよ最終回です。

20年以上付き合った木村氏病との本当の別れ。

そして、現在の僕が健康でいられる理由について、お話ししたいと思います。

(第3回【完治と現在編】へ続く)

 

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