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【第1回】100万人に1人の病「木村氏病」と、20年以上、自分を抑えて生きてきた話
今日は、私が小学生の頃から30代半ばまで、20年以上付き合ってきた病気についてお話ししたいと思います。
病名は木村氏病(木村病)。
当時は「100万人に1人」とも言われていた、原因不明のとても珍しい病気です。
腫瘍そのものは良性でしたが、この病気と治療の副作用は、私の外見だけでなく、生き方や考え方にまで大きな影響を与えました。
今では「あの経験があったから今の自分がある」と思えるようになりましたが、当時はそんなふうには到底思えませんでした。
すべては小学3年生から始まった
小学3年生の初夏。
右耳の後ろに、小さなしこりがあることに気付きました。
最初は近所の耳鼻科で診てもらいましたが、「耳下腺炎かな?」という診断。
薬を飲んでも良くならず、総合病院を紹介され、原因を調べるために組織を採る手術を受けることになりました。
人生で初めての全身麻酔です。
目が覚めた時は頭がフラフラ。
まるでバットを持って何十回も回った後のような感覚で、まともに歩くこともできませんでした。
子どもだった私は、その不思議な感覚を少し面白がっていたのを覚えています。
ただ、手術後に尿道カテーテルを抜く時は……まあまあ痛かったのを今でも覚えてます(笑)。
子どもながらに「痛いなぁ」と思ったことを、今でも鮮明に覚えています。
「木村氏病」という診断
その後、神戸大学病院の小児科(血液内科)を紹介され、ようやく病名が分かりました。
「木村氏病」。
先生からは、
「原因は分かっていません。」
「完治させる治療法もまだありません。」
「プレドニン(ステロイド)で腫瘍を小さくしながら付き合っていきましょう。」
そう説明を受けました。
そこから、薬との長い付き合いが始まりました。
病気よりつらかった副作用
一番多い時には、プレドニンを朝・昼・晩、それぞれ3錠。
毎日9錠飲んでいました。
ステロイドの副作用で体はどんどん太り、さらにアトピー性皮膚炎も悪化しました。
とにかく痒い。
我慢しようと思っても無理なんです。
夜中、寝ている間に無意識で掻きむしり、朝起きると布団も体も血だらけ。
そんな朝は一度や二度ではありませんでした。
首には腫瘍。
薬の副作用による体型の変化。
そしてアトピーで傷だらけの肌。
思春期から30代半ばまで、私は自分の外見にまったく自信が持てませんでした。
人の目が気になる。
前に出られない。
「どうせ自分なんて。」
そんな気持ちを心のどこかに抱えながら、自分を抑えて生きていました。
高校時代だけは、心から笑えた
そんな私にも、人生で一番楽しかった時期があります。
高校時代です。
運よく病気も落ち着いていて、体調も比較的安定していました。
そして、この頃に始めたアルバイトが、私の人生を変えてくれました。
職場の人たちは、病気も外見も関係なく、一人の仲間として接してくれました。
「自分も誰かの役に立てる。」
「ここにおってええんや。」
その喜びは、今でも忘れられません。
アルバイトが本当に楽しくて、学校も友達との時間も、毎日が充実していました。
私は私立高校に通わせてもらっていました。
だから、両親には感謝しかありませんでした。
「大学だけは国公立へ行こう。」
そう決めて国公立大学へ進学しました。
無理を重ね続けた10年間
大学生活は思うようにはいきませんでした。
体調や精神的な浮き沈みもあり、2年間休学。
結局、6年かけて卒業しました。
その後、2年間フリーター生活を送り、父から「そろそろちゃんと働け」と言われ、姫路の居酒屋へ就職しました。
この仕事は、今の私の土台になっています。
料理も接客も、人との関わり方も、ここでたくさん学ばせてもらいました。
ただ、その代償も決して小さくありませんでした。
約10年間、必死に働き続けました。
特に最後の3年間は、自分でも限界を超えていたと思います。
ストレスからなのか、手の爪がボロボロと剥がれ落ちていきました。
それでも休みませんでした。
「仕事に穴は空けられない。」
その一心でした。
さらに今度は慢性喘息を発症。
夜中、息が苦しくて目が覚める。
仕事中も呼吸が苦しい。
喉がヒューヒュー鳴る。
今振り返れば、救急車を呼んでもおかしくない状態だったと思います。
それでも私は、「周りに迷惑をかけたくない」と、自分で休日診療のある病院へ車を走らせ、その場をしのいでいました。
ある日、ふと思いました。
「このままじゃ、本当に死ぬかもしれない。」
その頃、治療するため完治させるため、必死になってインターネットで調べ始めました。
そして、一人の先生に出会います。
名古屋で喘息を専門に診ている先生でした。
先生の本を読んだ瞬間、不思議なくらい確信しました。
「この先生なら、自分を救ってくれる。」
そう思えたんです。
私は藁にもすがる思いで、名古屋へ向かう決意をしました。
この決断が、私の人生を大きく変える転換点になります。
(第2回「転換期編」へ続く)

